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@ 三宅 芳夫
2025-03-12 02:22:14
C.シュミット『政治的なものの概念』における「友敵理論」や規範なき決断主義などで、「実存主義」的と形容されることもあるが、これは間違い。
まず実存主義の定義は意外に難しいが、最低、個人の「複数性」を前提とする。従って、「決断」の主体も当然、複数になり、結果複数の個人によって構成される「秩序」の安定性は自明ではなくなる。
ところが、シュミットの全著作を通じて「決断」の主体は単数形、しかも国家である。より具体的には「大統領の独裁」(ヒンデンブルク)がシュミットの理想となる。
シュミットの反「規範主義」、反「基礎づけ主義」と見えるものは、実は、「独裁」には理性的な基礎づけは必要なく、「つべこべ言わず従え」ということ。
また「友敵」理論にしても、あくまで「民族」という集合は自明視され、個人の友敵関係は理論から排除される。要するにドイツ民族(友)の「敵」とは討議不可能であるし、相互に「殲滅関係」にしかない、と主張される。
シュミットのホッブス解釈も明らかに誤りである。ホッブスはあくまで「自然法」という「理性の論理」によって「主権国家」を基礎づけた。
それでいてシュミットは法学者としてワイマール憲法48条(緊急事態条項)をあれこれ解釈して独裁を正当化するのであるから、ここは滑稽である。